2006年06月11日
火あぶりにならずに革命を起こす
昔、アリアリ王国という国がありました。
アリアリ国の国民は、だれもが、アリアリ教に入信しなくてはなりませんでした。
アリアリ教の教えは、聖典「アリーアーアリ」に書いてあることを忠実に守って生活するというものでした。
聖典「アリーアーアリ」は、アリアリ王国の初代の王、アリ1世が書いたものです。
彼は、人間や自然に対して広く行った観察に基づいて、「万物のあるべき姿」を書き表したのです。
そこには、人間だけでなく、物体の運動や、植物の生長など、ありとあらゆるものの「あるべき姿」が示されていました。
聖典「アリーアーアリ」は、いつしか、神格化され、「あるべき姿になることが神の意志に沿うことである」というように内容が強められていきました。
アリアリ国の国民は、聖典を毎日音読し、「あるべき国民像」に向けて努力するのが日課でした。
あるべき国民像への努力を怠るものは、神の意志にそむくものとされ、厳罰が待っているのでした
アリアリ国の科学者の一人、ラプケは、神に深い敬意を抱いていました。
そして、そのすばらしい神が想像するものは、美しいものに違いないと考えていました。
ただ、ラプケにとって美しいと感じられるものというのは、「数学的に美しい」ということなのでした。
ある日、ラプケは、天体の運動を表す模型を見ました。
その模型の下には、このような言葉が書いてありました。
「天は神、神は完全、完全は円。地は人、人は不完全、不完全は円にあらず」
そして、そこには、惑星の運動を円軌道で説明するための模型が展示してありました。
地球の周りを、太陽や他の惑星がまわる様子が示されていて、何十個もの円が、複雑にぐるぐると回転するものでした。
ラプケは直感的に思いました。
「神が、こんなぐちゃぐちゃしたものを想像したはずが無い」
翌週、ラプケはある古本屋に立ち寄りました。
そこでラプケは、偶然、書棚の奥に「天体の運動」という発禁本があるのを見つけました。
周りの様子をうかがいながら、こっそりとページをめくると、そこには、太陽を中心にした円軌道を地球や他の惑星が回っている図が描いてありました。
ラプケはおもわずつぶやきました。
「美しい…。」
このときから、ラプケは、地球が太陽の周りをまわっていることを確信するようになりました。
その根拠は、ただ一つ、「美しい」ということでした。
でも、そのことを誰かに言ったりすれば、ラプケはアリアリ教に背くものとして火あぶりになってしまいます。
ラプケは、何とかして、火あぶりにならずに、自分の確信を公表することはできないかと考えました。
そして、ついに、その方法を思いついたのです。
ラプケは、友人の科学者コチに頼んで、惑星の位置の観測データを譲ってもらいました。
そして、数学の強いラプケは、そのデータから惑星の軌道を計算する方法を考え、惑星の位置を割り出していきました。
計算すると意外な結果が出てきました。
地球をはじめ、惑星は、太陽の周りを楕円を描いて回っていたのです。
ラプケは、惑星の軌道が二次曲線で表されるという事実に感動しました。
そして、計画どおり、この事実を公表することにしました。
さて、ラプケが考えた、火あぶりにならずに、地球が太陽を回っているということを公表する方法とは、どのようなものだと思いますか?
まず、ラプケはアリアリ教の神父の中で、数学が得意な神父を選び、家に呼びました。
そして、こう言ったのです。
「神父さん、私は、熱心なアリアリ教の信者です。毎日、欠かさず、アリーアーアリ
を音読しています。
長年、神の世界の言葉である、星の動きを研究してきました。
そして、惑星の運動を求めることができる数式を考えました。
神父さんでしたら、お分かりいただけると思いますので、説明いたします。」
ラプケは、その神父に数式を使って惑星の位置を求める方法を説明しました。
神父は、興味深そうに話を聞き、その正しさを理解しました。
「神父さん、ここに、有名な天体観測家であるコチのデータがあります。
このデータをもとに、神父さんの手で、惑星の運動を計算してみてください。」
神父は、たった今マスターした計算方法を使って、惑星の位置を割り出し、
紙の上にその位置をプロットしていった。
すると、そこには、太陽の周りを楕円軌道を描いてまわる惑星の姿が浮かび
上がってきた。
ラプケは言った。
「私は、ただ、謙虚に神の言葉に耳を傾けました。その結果、神が事実を教えて
くれました。この結果を、公表してもよろしいでしょうか」
神父は、ラプケの中に、アリアリ教に背く気持ちが無いことを確信し、うなずきました。
こうして、ラプケは、自分の確信を公表することができたのでした。
そして、これをきっかけに、アリアリ教の説く自然の姿が誤りであることが、次々と
明らかになり、アリアリ教の権威が失墜していくことになるのでした。
★たとえ話終了★
■計測主義の意味
万有引力って不思議ですよね。
なぜ、遠く隔てられた物体の間に引力がはたらくのだろうか?
この「なぜ」に、物体にはお互い一緒になりたいという傾向があるから、なんていうふうに
物語で答えていこうとすると「信念」VS「信念」の対決になります。
アリストテレス自然哲学とキリスト教会が結びついて、権威をもっていた時代には、「信念」VS「信念」の対決をしてしまうと、権力をもった教会側の勝ちになり、火あぶりにされてしまいます。
実際、ガリレオ・ガリレイが、地動説を唱えて宗教裁判にかけられたのは有名な話です。
たとえ話に登場したコチのモデルであるティコ・ブラーエも、地動説を確信していながら、教会に気を使って、
「惑星は太陽の周りを回っているが、その太陽は、地球の周りをまわっている」
という妥協案を提出し、それでも、教会から嫌われて地方へ飛ばされてしまいました。
こういう時代に、権力を持たない側が戦いを挑むためには、戦いの土俵をずらすことが有効なのです。
僕は、「信念」VS「信念」の土俵での戦いを避けるために、「計測主義」が使われたのではないかと思っています。
(文献などを調べたわけではなく、予想なのですが。。。)
計測主義というのは、「なぜ、そのような結果になるのかを問わず、何度測定しても同じ結果になることを確かめ、数式に表していく」という方法論です。
〇誰が測定しても同じ結果になる。
〇何回でも再現可能である。
ということが特徴です。
これって、「自然はこうなっているはずだ!」という思想を、巧みに後ろに隠して、
計ってみたら、こうなったんです!と言っているように見えませんか?
「客観的事実」というものの前提には、なぜ、それを計ろうと思ったのかという意志が隠蔽されています。
アリストテレス哲学+キリスト教会の権力に対して、当時の科学者が、自分の思想を計測主義によって隠しつつ、客観的事実という盾を持って戦った結果、科学革命が起こったのではないかと思います。
科学史に詳しい方からの、「ここは違うぞ!」というメールお待ちしています。
※ちなみに、たとえ話は、計測主義の役割を説明したかっただけで、史実に基づいていないですよ。


